- スペシャルインタビュー1「Avignon Games様 インタビュー」【ゲームマーケット2026秋】
- 2026/10/09
【Avignon Games様 インタビュー】
ゲームマーケット2026秋 スペシャルインタビュー1
Avignon Games
スイタ氏(代表)
マンガ家志望からボードゲーム作家へ
――スイタ氏さんとボードゲームの出会いから教えてください。
スイタ氏:子どもの頃から遊んでいたわけではなくて、今思えば「高校生のときに友達が持ってきたものが、ボードゲームだったな」という感じです。「ボードゲーム」という単語を知ったのは大学3年生くらいです。最初は『コロレット』『ニムト』『ごきぶりポーカー』のような、ドイツゲームの有名な作品で遊んでいました。
――幼い頃は、どちらかというとデジタルゲーム派でしたか?
スイタ氏:外で缶蹴りや鬼ごっこをするほうが多かったです。ただ、カードゲームも流行っていたので『遊戯王』や『デュエル・マスターズ』で遊んでいました。学校ではもちろん持ってきて遊ぶのはダメだったので、だったら作るのはOKだろうと、友達といろんなマンガのキャラを描いてトランプを作って、大富豪などで遊んでいました(笑)。雑誌の垣根を越えたコラボができて、とても楽しかったです。
イギリスの美大に行った際に誕生したオリジナルキャラクター。「カリカチュアの授業で顔のパーツをさまざまに誇張して描いているときにできたキャラがかわいかったので、自画像にしました」
――本格的にボードゲームを作り始めたきっかけは?
スイタ氏:就職活動がきっかけです。小学2年生から大学3年生までマンガを描いていて、美大ではマンガを学んでいました。担当編集者さんもいたなか、卒業してすぐに連載を持つのは難しいと感じ、一度マンガから離れて就職活動を始めたときに、ボードゲームを作っている広告系の会社を見つけました。まずは紙で作ってみて、YouTubeで発信して、反響がよかったら商品化する。そんな、紙とペンで簡易的にゲームを作っているのを見たときに、「これなら自分にもできるかな」と思って作り始めました。
――実際、制作してみていかがでしたか?
スイタ氏:さすがにプロでも1日1個は作らないだろうと思ったので、プロの方たちを超えるために1カ月に30個作ろうと目標を立てて、結果的に20個のプロトタイプができました。それを持ち歩いていたら、その中のひとつを「面白い、欲しい」と言ってもらえて、当時話題になっていたクラウドファンディングをしたら12万8千円くらい集まったんですよ。そのとき、「これで食べていけるかもしれない」と勘違いをして(笑)、内定もいただいていたのですが、入社してやりたいことをやるためには早くても3年かかるなか、個人でもできることが増えている時代なので、がむしゃらにもがく方がきっと楽しいと思い、辞退して起業の道を選びました。
――卒業と同時に起業を?
スイタ氏:卒業後2カ月くらいは、毎日スタバに行って「ボードゲームで生きていくためにはどうするべきか」をひたすらスケッチブックに書いていました。「まずはこうして、次にこういうゲームを作って、こうやって展開して、マネタイズしていく」みたいな。3月に卒業して、5月に開業届を出しました。
――“就職しない”という選択に、怖さはなかったですか?
スイタ氏:10年後振り返ったときに、そっちの方が楽しそうだなと。あとは、大学に「エコビレッジ」という世界中のコミュニティを渡り歩いていた先生がいて。そこは、通貨が存在しない村なんですよね。物々交換で経済圏が成り立っていて、「死にそうになったらエコビレッジに行けばいいや!」と思っていたところもあります。無知だからこそ、勢いもあって……その後すごく苦労するのですが(苦笑)。
――それにしても、1カ月で20個のゲームを作っていた、そのパワーもすごいですね。
スイタ氏:朝7時に起きて、シャワーを浴びながら1個考えるんです。登校前にIllustratorでデータを作って、授業と授業の合間に続きをやって、印刷して、カットして。シェアハウスをしていたので、みんなにテストプレイをしてもらう……という生活をしていました。
――誰にでもできることではないように思います。
スイタ氏:僕は“何かをすること”のハードルが低いタイプなんだと思います。調べたり、考えたりするステップをすっ飛ばして、まずはやってみる。人と遊ぶことが好きだし、紙とペンさえあれば作れるボードゲームは、自分に合っていたのかなと思います。
スイタ氏さんがマンガで描くゲーム説明
――しかもイラストも得意だったら、より親和性がありますよね。
スイタ氏:説明書は絵やマンガで描くことにして、それは今でも続けています。ただ、自分の絵にこだわりがあるわけではなくて。ゲームに合うイラストが描ける方をSNSで探して、「こういうふうにお願いします」と発注したりもしています。
家を捨てた!? しんどかったバックパッカー時代
――起業後には苦労された、とのことですが……?
スイタ氏:「とりあえず東京だろう」と思って関西から上京したものの、生活コストもかかるし、コロナ禍で外にも出られなかったので、「東京に出てきた意味がないな」と思ったんです。そこから家を捨てて、多拠点生活のサービスを利用しながら3年間くらいバックパッカーをしていました。「夢はあるけど、お金もないし、物(ゲーム)もない」という、夢と現実のギャップがあった時期がしんどかったです。
――サラリとおっしゃいましたが、“家を捨てる”ってかなりのチャレンジですよね。
スイタ氏:ボードゲームだけで食べていきたいなか、かと言ってすぐに収入も増えないので、生活するには支出を減らすしかなかったんです。それで、一番削れそうで大きな支出だったのが家だったんです(笑)。生活費を抑えながら生活して、各地で出会った人たちにゲームで遊んでもらって、意見を聞いて改善する。「1年後にクラウドファンディングをするので、応援してください!」と言い続け、皆さんに応援していただいてできあがったのが『ソノトキボクハ』でした。ようやく「夢はあるけど物はない」から、「夢もあるし物もある。さらには反響もある!」という状況になって、気持ちがラクになりました。
Avignon Gamesの作品の数々。左上が『ソノトキボクハ』
――『ソノトキボクハ』の制作秘話も聞かせてください。
スイタ氏:最初は、一人ひとりが生きやすい社会にしたいなと思い、ボードゲームの制作をしていました。『百年の愚行』という本を読んだときに、“オイルまみれでドロドロになった鳥”や“戦争で犠牲になった子ども”の写真を見て、「こんな世界でいいわけないぞ」と。みんなが笑顔になるにはと考えたときに、相手の気持ちをみんなで想像して当てる協力ゲームを作りました。
――ただ“楽しく”というだけではなく、人や社会のためにゲームを作ったと。
スイタ氏:就活のタイミングでいきなり「将来何をやりたいんですか?」「どんな会社に入りたいんですか?」と聞かれますが、大半の人がそこで初めて本気で将来や自分の気持ちに向き合うことになると思います。生きていたら「こうした方がいい」「ああした方がいい」とさまざまな意見がありますが、自分の気持ちを知らないと選ぶこともできません。押し付けないことも重要ななか、NOと言えることも重要だと思っています。人間の悩みはすべて対人関係にあると言われたりしますが、自分や相手の気持ちについて考えて、同じものを見ても感じ方が違うことを知ることからコミュニケーションを始める流れを楽しく作りたくて作ったのが『ソノトキボクハ』というゲームです。その結果、道徳の教材に採用されたり、ふるさと納税の返礼品になったりもしました。
売上8個からの脱却! ゲームマーケットとアイデアの育て方
――ゲームマーケットに初めて参加されたのは?
スイタ氏:2022年の春に「研修ゲームラボ」という団体の枠で合同出展して、同じ年の秋に初めて「AvignonGames」として個人出展しました。
――手応えはいかがでしたか?
スイタ氏:最初の個人出展では、8個くらいしか売れなかったんですよ。一日中ずっと立っていたのですが売れなくて……(笑)。僕はボードゲーム業界に知り合いがいなかったので、ノウハウも知らないし、告知もしてはいましたが、届いている実感もなくて手応えはなかったですね。そこからずっと出展は続けていて、8個の次は15個、そこから20、30、50、100、200……と階段を地道に上がっていきました。
――いきなり大成功だったわけではないんですね。
スイタ氏:当時、偶然「ボドトーーク」というボードゲーム界隈の交流イベントが始まったんです。そこでやっと「テストプレイ会というのに行った方がいいんだ」と知りました。それまで、テスト会があるということすら知らなくて……。それからテストプレイ会にたくさん参加して、「ゲームマーケットではこうした方がいいんだ」と一つひとつ学んでいきました。なので、手応えを感じられるようになったのは、ここ1年くらいです。
――ゲームマーケットでは「チャック横丁」にも参加されているそうですね。
スイタ氏:ボードゲームって、箱の原価が一番高いんです。箱にするとクオリティは上がりますが、その分、参入ハードルもどんどん高くなっていく。そういった状況で、主催のアークライトさんが「そういうのはやめようよ」と始めた企画がチャック横丁で、僕はものすごく活用しています。アークライト・ゲーム賞にノミネートされた『クイズ!ブブンブンカツスイッチ』もチャック横丁発ですし、国内出版や海外出版にもつながりました。
――あらためて、ゲームマーケットの印象は?
スイタ氏:“お祭り”です。必ず新作を出すことにしているので、“締め切り”でもあります(笑)。『はぁって言うゲーム』を作った米光一成さんに「どうしたら面白いゲームが作れますか?」と聞いたら、「いっぱい作ることだ」と言われたので、「分かりました」と。『ソノトキボクハ』の頃は1年に1個だったんですが、今では1年に7個くらい作るようになって。たくさん作り始めてから作ったものがほとんどすべて商業出版されるようになり、たしかにたくさん作った方が、道が拓かれる感じがしています。
――普段、どんなふうにゲームのアイデアが浮かぶんですか?
スイタ氏:『クイズ!ブブンブンカツスイッチ』は、好きなYouTuberさんの動画がきっかけでした。犬がいっぱいプリントされたTシャツを着ている人がいて、もう一人の人が犬をポチッと押したら、着ている人が「ワン!」と言ったんです。それを見て、「スイッチを押すと人が反応するって面白い!」と思って、すぐに今の形になりました。あとはクレーンゲームとか、日常で目にしたものから持ってくることも多いです。一つのゲームを作っているときに、アイデアが分かれて2個できることもありますね。
今もコピー用紙は手放せない。紙の束にはびっしりと書かれたアイデアが!!
――きっちりゲームを考える時間を作るというよりは、ふと考えるタイプですか?
スイタ氏:最初にスタバで生き方を考えたときと同じように、コピー用紙に日付とアイデアをガーッと書くこともあります。そういうときは、「考えるぞ!」という気持ちでいるので、どちらのパターンもありますね。
――スイタ氏さんがゲームを作る上で大切にしていることも教えてください。
スイタ氏:30秒くらいでルールが分かるものが好ましいなと思っています。「自分が旅をしていたとき、どんなゲームをよくおすすめしていただろう」と振り返ると、ルール説明が簡単で、大人数でも遊べて、すぐに終わるものだったんですよね。あとは、できるだけ「過去にないもの」を発明したいと思っています。“出版社に製品化してもらう”という意味では、「グローバルで売れるように非言語であること」「コンポーネントが少なくて製造原価が安いこと」「拡張性があること」、あとは「IPコラボがしやすいこと」。なおかつ、その会社さんが販売しているゲームと競合しないか、その会社さんっぽいか、という軸で考えるようにしています。
“積極的受け身”で挑む海外展開
エッセンシュピール出展時の様子。ゲームの面白さは国境を越える
――先ほど、社会のためにゲームを作り始めたというお話もありましたが、今でもその思いが強いですか?
スイタ氏:2023年に初めてドイツのエッセンシュピールに参加したとき、自分のゲームですごくたくさんの人が遊んでくれたんです。いろいろな世代、いろいろな国の人たちが笑顔になってくれて。そこからはシンプルに、世界中で楽しまれるゲームを作りたいと思うようになりました。
――海外展開については、最初から考えていたのでしょうか。
スイタ氏:はっきりと考えていたわけではありませんが、世界中の人にゲームを届けたいのなら、「外国に行ってみないとおかしいのでは」とは思っていました。ただ、やはり潤沢に予算があったわけではないので、エッセンに行く前に、全財産が20万円しかないなか、17万円のチケットを取って、ボードゲームの本場であるドイツへ行こうと決めました。「カウチサーフィン」というホームステイのようなサービスを使って、1人で1カ月間、ドイツ、デンマーク、スウェーデンをぐるぐる泊まり歩いたので、半年後にエッセンに行ったときには、1週間ドイツに行くだけなので楽勝に感じました(笑)。
――カッコよすぎます(笑)。バックパッカー時代のお話も含めて、もともとコミュニケーション能力が高いんですか?
スイタ氏:いえ、全然そんなことはなくて。本来の性格的には「話したいけど、話に行くのが恥ずかしい……」という性格で、小さい頃から変わらずです。小学生の頃も赤青の3Dメガネをかけて本を開いて、そしたらクラスメイトが「なに見てるの?」って話しかけてくれるじゃないですか。声を掛けたくなるようなきっかけを自ら作る、そんな「積極的受け身」の姿勢でいました。ギネス世界記録の本や手相の本を開いていれば、みんなが「なにそれ?」と集まってくる。ボードゲームも、同じ要素があるかもしれませんね。
――なるほど……。
スイタ氏:ドイツ、デンマークやスウェーデンでは、日本語バージョンのゲームを持って、Googleマップでヒットするゲーム店をすべて回ったんです。それだけ聞くと能動的ですけど、実際には店に入ると恥ずかしくなって、「ハロー」と店員さんに話しかけられずに30分間くらい棚を見つめるっていう(笑)。でも、話し始めるといろいろなことを優しく教えてくれて、結局、ドイツのボードゲームカフェとデンマークのおもちゃ屋さんで導入が決まって、海外の販路が広がりました。
――その1カ月の間に、ということですよね。それから毎年エッセンに参加されている?
スイタ氏:そうですね。今後も「現地の出版社でゲームが販売されてサイン会を開く」だったり、何かかたちになるまでドイツへの出展は続けようと思っています。
――ゲームを制作する上で、初めから海外向けに作っているものもあるのでしょうか?
スイタ氏:あまり分けて考えず、ただただ「面白いゲームを作ろう」という気持ちで制作しています。とはいえ、制作段階でアメリカ・韓国・イタリアなど、各国の友達に「翻訳すれば、その国でも遊べますか?」とヒアリングしながら作っているので、前提として海外展開も考えてはいますね。
みんなが笑顔で暮らせる社会を目指して
――海外展開の一方で、秩父郡横瀬町の地域おこし協力隊として活動されたり、日本にも目を向けられていますよね。
スイタ氏:旅をしていたときに、横瀬町がすごく居心地がよくて、ずっとそこにいたんです。その中で「ボードゲーム×地域」で何かできるかもしれないと考えるようになって。地域おこし協力隊になる条件が居住することだったので、そこで放浪も卒業しました。
――実際に取り組みを始めてみて、どう感じていますか?
スイタ氏:本当にやってよかったです。町内の公共施設に「皆さん、これで遊んでくださいね」と、ボードゲーム棚をドカンと置いてみたんです。みんなが気軽に集まれる場所に、みんなが集まるきっかけができて、みんながゲームを持ち寄って種類も増えて。今では小学生から高齢者の方まで分け隔てなく、ボードゲームを介して遊んでいます。80代のおばあちゃんが『ブロックス』という陣取りゲームで毎日遊んでいて、町内最強になっているんですよ(笑)。
地域おこし協力隊として、横瀬町でも精力的に活動するスイタ氏さん
――(笑)。たしかに「ボードゲーム×地域」は相性が良さそうですね。
スイタ氏:ボードゲームがコミュニケーションツールになっているのがとてもいいなと思いますし、地域の健康寿命を延ばすことにもつながっています。町のいたるところにボードゲームを置くことで、高齢者の方たちが遊びに行くために出掛ける。すると運動や会話のきっかけが生まれて、ボケ防止につながったりする。そうやって健康で楽しく長生きできるきっかけがボードゲームによって作れたらと思っています。このモデルは世界中で転用できるので、もし広がればボードゲーム業界全体の市場拡大にもつながるんじゃないかなと思っています。
――最後に、今後の展望も聞かせてください。
スイタ氏:やっぱり、「みんながニコニコ生きる社会になったらいいな」という思いが根底にあります。争いは減った方がいいし、健康で長生きできたほうがいい。個人としては、何十年もずっと遊ばれるようなボードゲームを作りたいと思っています。いつかは自分のゲームが誰かにマネされるくらい、すごい発明をしたいですね。
