ABC

Aesthetics, Boardgames & Circles 略してABCです!
ボードゲームは遊びの魔法円を超えて芸術へ!
ゲームマーケット2025秋両日試遊ありではじめて出展します
『あふはあふかは 』を販売します
テーマは古今和歌集×1等星!3人専用の協力・対決ゲームです!遊ぶほどに「ままならない」が加速する!

ABC宣言
2025/11/2 13:01
ブログ

Aesthetics

芸術は模倣だ。音楽は音を、絵画は光を、あるいは色や形を模倣する。芸術は何を主題として模倣するだろうか。演劇が模倣するべきは、人々の歓びか、それとも哀しみか。議論が始まったとき、芸術も始まった。ゲームもまた芸術たりうる。ゲームのルールは関係性を模倣する。ゲームにおいても、その主題を議論し始めた時に芸術がはじまる。
ゲームは総合芸術だ。イラストやテキスト、あるいは造形において他の芸術分野に多くを負っている。一方で、ゲームに固有の技術はルールである。デザインされたゲームにおいて、作者はオブジェクトや値、規則に名前を与える。命名されたあらゆる要素の関係性は、その語の一般的な意味によってではなく、ルールによって表現される。命名された要素の関係性は作者自身によってではなく、遊び手が運用することによって実現される。
美とは何か。美は経験されるものである。美とは、想起されるものである。経験されたものから、関係性を思い起こし、その関係性をもって美しいと感じる。ゲームは、様々な関係性を想起させてくれる。幾層もの可能性の空間が目の前に広がっているからだ。
規則のひとつひとつに物語がつまっていて、選択に苦しむたびに物語を想い起す。小説にも音楽にも、鑑賞の中には苦しみがあり、喜びがある。そんなゲームをつくりたい。

Boardgames

ゲームの中で、ボードゲームの特徴は運用と配置にある。ボードゲームにおいて、その運用は遊び手に委ねられる。規則は運用可能な形で開示されなければならず、遊び手は規則に自ら従うことが求められる。運用可能な範囲を超えて規則を隠すことはできず、扱える規則や変数の量が限られる。ボードゲームは作者と遊び手との信頼関係、遊び手同士の信頼関係の上に成り立つ。配置によって、情報量の観点から同じ意味を持った規則であっても、異なる関係性を表現することができる。一つの区域に複数の駒を置くとき、横に並べるか、上に重ねるかによって、異なる関係性が表現されうる。
1つのデザインされたボードゲームには、3つの局面がある。作品、プレイ、記録である。ルールとコンポーネントの一揃いである作品は作者が作り上げる。作品は通時的な批評にさらされる。プレイにおいて、ボードゲームは作者の手を離れ、遊び手のもとで運用されていく。プレイは一時的な経験である一方、場を共有した人々に共有される経験でもある。プレイされたゲームは、動画やプレイ記、あるいは棋譜といったかたちで記録される。記録を通じて、作品はより広く共有され、思い起こされる。あるいは再演される。
作者はもちろん作品の美しさを追求するが、同時にプレイや記録において美が経験されることを望む。美に先立つ2つのものは信頼と楽しむ態度とである。信頼によってプレイが成立し、想起された関係性を共感することができるからである。 「を共感する」というあり方は、作者と遊び手の間に、あるいは遊び手同士の間に成立する。
楽しむ態度には4つの要素がある。出力、入力、選択、調和である。経験を自身からの出力と自身への入力のサイクルであると考えた時、これまでミミクリと呼ばれてきたような楽しみのあり方の多くは出力の楽しみと言い換えることができる。同様にイリンクスは入力の楽しみである。アゴンとアレアは自身の出力によって、その後の自身への入力を操作しようとする試みであり、これを選択の楽しみと呼ぼう。調和の楽しみとは、自身への入力によって、その後の自身の出力を操作しようという試みである。これは、ただ「反射せよ」というのではない。例えば、盆踊りの全体の動きの中に、自身が収まっていることを感じる時の楽しみである。選択の楽しみにおいては、あらゆる可能性が想起されるけれども、実現されるのはただ一つの現実である。一方で、調和の楽しみにおいては、試みが成功した時には、ただ一つの系だけが存在し、ただ一つの出力によって、世界の多様なあり方が実現される。ボードゲームが美の基盤とするのは、選択の楽しみだけではない。あらゆる楽しみの態度を基盤として、想起と共感が成立する。
作品としての通時的な面白さ、プレイされるときの共時的な楽しさはもちろん、記録され、思い起こされ、共感される。そんなボードゲームをつくりたい。

Circles

作品はいわばコンパスだ。遊び手はプレイのたびに魔法円を描く。作品があれば、何度も円を描いたり、円を並べたり、重ねてみることもできる。プレイの度に、過去の円が想起される。あるいは可能性の空間が想起される。繰り返し遊ばれるゲームは、プレイとプレイとの間にも関係性が結ばれる。
遊びの魔法円は小さな世界だ。遊びの内側と外側を、時間的、空間的、あるいは社会的な意味において切り分ける。魔法円は遊び手の合意によって成立する。デザインされたボードゲームはいつか終わる。作者の定めた規則によって魔法円は完結する。
模倣は常にカッコつきの試みである。主題を実現しようとしつつも、それが主題そのものではないというメタメッセージを含んでいる。芸術とは、カッコつきの手法を用いて、カッコを打ち破ろうとする試みである。人物画は、もちろんその人自身ではない。動き出すことはない。けれども、その絵の中に、光や色の模倣だけにとどまらず、その人自身の背景や内面といったカッコの外側の世界を実現しようとしている。
ボードゲームの魔法円はカッコだ。規則によって実現された世界が、魔法円の外側の世界の模倣であり、世界そのものではないというメッセージを含んでいる。魔法円の内部における対立は、実生活における対立を必ずしも意味しない。一方で、規則の運用によって表現された物語は、様々な関係性を描き出す。魔法円の外側にある関係性を描き出す。いつか作者が想起した関係性を、規則によって模倣し、作品の中で実現することさえできる。
ボードゲームこそ芸術だ。模倣された関係性が再び想起され、魔法円を超えていく。そんな作品をつくりたい。

 

この文章は2025年11月1日から、各種イベントで配布している印刷物と同じものです。
以下のpdfはその印刷用データになります。pdfデータで読みたいという方はご利用ください。
ABC宣言.pdf

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